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日記とかです。タイトルは、そうありたいと思う気持ち。

5★ 空
「1★ダライ・ラマ法王 横浜法話・講演 」の続き

さっきの「3★「縁起賛」ラマ・ツォンカパ師」から
ダライ・ラマ法王の法話が始まりました。


空、縁起について。

この話、たのしかったぁ゜+。(*´∇`)。+゜



もしも間違ってたら、大変申し訳ないのですが
ご指摘いただければ幸いです。



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世界の様々な宗教には
「絶対神」という存在が
あると考えるものと、無いと考えるものがあり
仏教は後者になります。

その中でも「自我」と呼ばれるものが
あると考えるものと、無いと考えるものがあり
私たちは後者になります。

何ゆえに「自我」が無い、「無我」と定義するのか。
それは「空」を知れば解ること。

人は何にも依存しない状態では生きていけない。
むしろ依存(関係・繋がり・絆)とは大切で必要なもの。
すべての事象は
全てはそれぞれの依存による相互関係から発生するもの。
ゆえに、一切からの自立をした「自我」というのは無いと考える。
それを「空-くう-」と表現している。

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 ・・・この辺り、鋼の錬金術師でも出てきましたが
 「一は全、全は一」の話ですね。 ←突然(笑)

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「色即是空 空即是色」ともいう。

そして「縁起」と言われているのは「事の起こり」
つまり、事象が互いに依存して生成(縁起)するということ。

それは
「原因」から見た「結果」とも言えるし
「結果」から見た「原因」とも言える。

この世界に
「完全にオリジナルで単体で自立した存在」というのは無く
それは、「自我」は常に他によって存在が確認されるもの。
その存在の状態は「空」であり、「無我」ともいう。
その関係性を表現したのが「縁起」
その一連を表現したのが「業」。

世俗の真実である「縁起」=すべてのものは何かに依存して存在している
究極の真実である「空」=すべてのものに実体はない
→「縁起しているが故に空である」



縁起は双方向で2つなので、無知(無明)も二種類ある。

世俗レベルの無知
「因果の法を知らないこと」
→「あらゆるものは原因に依存して存在している」と知ること。

究極の、微細な意味での無知
「ものごとの真実の姿を知らないこと」
→「あらゆるものは何らかの他のものに依存した
  ものである。ゆえに空である」と知ること。 →解脱!


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